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今日から病気も友達 (MyISBN - デザインエッグ社)

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考える自由は、私たちに与えられている。

同じ空間や時間を共有することが苦しいときは、共にあり続ける必要などない。

空間や時間を「共有」するとは、意識・エネルギーのやり取りが自分と相手(人・モノ)との間に生じるということだろう。

たとえ物理的に近くにあったとしても、机や椅子に意識を向け続け、愛で続けている人というのはそういない。
単なる家具だと思っているからだ。
(家具マニアという人もいるかもしれないが)

誰かや何かを意識し続け、気にし続け、時間や空間を共有することで、自分の時間や労力を消費してしまっているなら、損をするのは自分だ。

たとえば「体が痛い」「めまいを覚える」ということを、自力でやめることはできないが、必要以上の意識を向けないようにすることはできる。
痛くても、めまいがしても「今日は空が青いな」と考える自由は、私たちに与えられている。
心をどう使うか、その自由は自分に与えられているのだ。

現に今日の私は、ボルタレンサポの50mgとブスコパン2錠とナウゼリンが必要だけれど、
「某運送会社の、このエリア担当のお兄さんはイケメンすぎる」
「仕事上、集荷依頼を集中させてしまう時期があるので、変人と思われたらどうしよう」
と考えている。

その瞬間、私の考えは痛みに支配されていないのだ。
(イケメン配達員に心が支配されてはいるけれど)

2014年8月25日 記す

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