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今日から病気も友達 (MyISBN - デザインエッグ社)

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入院日記

【注意】2001年当時と、現在では変わっていることがいくつかあります。
下表にまとめました。
「違いがある」という認識の下に、お読みください。

2001年当時現在
入院期間(私は)22日7日間
麻酔の方法全身麻酔局所麻酔
術前麻酔ありなし
手術室への入室ストレッチャーに乗せてもらう患者が自分で手術室に行く
術後安静3日ほど寝ていた手術後わりとすぐ歩ける

よくいただく質問を次のページにまとめています。
 手術後の生活について

はじめに

 私は、メニエール病にかかって、イソバイドを服用していましたが、
あまり改善しないということと、
別の病院にとても良い先生がいると紹介してくださったので、手術を受けました。

内リンパ嚢開放術、という手術です。
リンパ嚢に余計な水分がたまったり、リンパ嚢が小さすぎたりすることを、
手術により改善しよう、というものです。

 イソバイドの味は、結構好きだったのですが、
それが多数派ではないということ
を、最近ようやく受け入れられるようになりました。

 入院期間は21日間ありました。
 執刀医の先生、部長先生、他の先生、薬剤師さん、看護師さん、
他の患者さん、皆さんが、とてもよくしてくださいました。
自分の友人や、家族も、です。
本当に、ありがとうございました。

 どなたかの、治療の参考になれば、と思い、
手術、入院に関して、思い出せる限りのことを、書くことにしました。

 私は素人ですので、
医学的に正確な説明は、手術を受ける方ご自身が主治医の先生から受けるほうが良いでしょうし、
「何パーセントの人が改善した、現状維持、悪化」というデータは、
何年も経てば変わるということもあります。
「ふゆうの場合は、こうだった」という話として、読んで下さい。

 文中に、何も断りなく書いている「先生」は「執刀医の先生」です。
他の先生は、できるだけ「処置担当の先生」「部長先生」と、書くようにします。

大体の流れは、次のようでした。

1日目  入院した。クリニカルパス、入院生活の案内をもらった。
2日目  11時、麻酔科の診察と説明。15時、執刀医の先生から、手術説明。
3日目  強い利尿剤を飲む、かつ、9時以降、絶飲食、の状態で検査
4日目 手術当日
5日目  手術後、抗生物質の点滴を続けていて、朝2時ごろに終わった。
6日目 
7日目  13時ごろ、先生が「歩行器を使って、歩いていいよ」
8日目  処置室へ、歩行器があれば、歩いていけるようになった
9日目 (8日目か、9日目までは、朝晩20分程度、抗生物質の点滴があった)
10日目 
11日目  抜糸、シャンプー
12日目  入浴の許可
13日目  エレベータ使用許可(事後承諾、ごめんなさい)
14日目  14日目か15日目には、歩行器を使わずに歩くようになっていたはず
15日目 
16日目 部長回診のとき、転換性障害で倒れる
17日目 
18日目 この頃から友人が次々に退院し始め、さびしいと感じる
19日目 
20日目 
21日目 退院した

入院までの簡単な経過

 8月の鬼のように暑い日に夏風邪を引く。
 かかりつけの内科医院の先生に風邪薬をもらっていたが、
右耳が常にふさがれているような奇妙な感覚を覚えるようになる。

内科医院の先生が「風邪を引いた後に、耳管閉塞を訴える人がいる。
耳鼻科の先生に診てもらおう」とおっしゃったので、
耳鼻科医院へ行く。
このときは、耳に空気を通す治療を1週間程度していただき、治ったと感じる。

 1ヶ月ほど経ってから、風邪などの明確なきっかけはなかったように思うが、
耳が詰まったと感じ、直接、耳鼻科医院へ行く。
今度は1週間たっても治らない。
あるときは耳鳴り、あるときはめまい、など、なんか不快だ、という状況が1ヶ月ほど続く。

 耳鼻科医院の先生が
「メニエール病ではないかと思う。
 設備の整った病院で、脳の異常ではないことをはっきりさせたほうが、安心でしょう」
と、公立病院を紹介してくださる。

 公立病院の先生が、
MRIや耳の詳しい検査(温度眼振検査、聴力検査等)の予定を立ててくださる。
 結果、脳の異常ではなく、メニエール病であることから、イソバイドを飲むことになる。

 ところが、メニエール病そのもの以外に、
ストレスのかかる事情が生じたためもあって、なかなか改善しない。

むしろ、入浴中にめまいを起こしたり、
夜中に「天井がぐるぐるして怖い。幽体離脱? (冗談です)」など考えるようになる。

後に分かることであるが、このとき既に、パニック障害の発作も混じっていたかもしれない。

 一年半ほど治療をしたところで、公立病院の先生が
「かなりストレスに感じているようだし、手術という方法がある。
 別の病院を紹介することになるが、どうしましょう」と言ってくださる。

 冬の寒い日、9800円のコートを着て、別の病院(執刀医の先生が勤務されていた病院)へ、
MRIのフィルムと耳の検査の結果を持って、電車とバスに乗って出かける。

執刀医の先生の初診

 初めての病院に行くので緊張する。でっかい病院だなぁ、と、田舎者らしくきょろきょろする。
 執刀医の先生が「手術日の3日前に入院しましょう」とおっしゃる。

例えば、手術日が16日だったら13日に入院する、という意味である。
「手術の前には、手術の説明、麻酔の説明、検査などがあります」と説明してくださる。
 入院予定日が決まったところで
「では、麻酔をかけられるかどうかの確認のため、
 血液検査、肺のレントゲン、心電図だけ、今日受けて帰りましょうか」とおっしゃる。
それは「だけ」というのだろうか、と、「面白い先生だ」と思う。

 採血のとき、注射器の具合が悪かったのか、突然シリンジごと外れてしまう。
血が滝のように噴出した等はなかったし、痛くもなかったのだが、
状況が飲み込めず、採血してくださった方が慌てて交代されるのを、なんとなく眺めている。
 肺のレントゲンのとき「上半身裸での撮影に、ご協力ください。
 だけど、どうしても抵抗がある方は、
下の服(正確になんという表記だったかは記憶にない)を着けてくださっても結構です」
と書いてあって、体の前側を隠せるようになっている服のようなものがおいてある。
抵抗はなかったので、その服はつけないで撮影してもらう。

その後入院まで

 「中耳ターゲットCT」を受ける。
手術では、内リンパ嚢がどこにあるかを探すことになるので、
あらかじめ撮影しておくのだそうだ。
また、メニエール病の人は中耳ターゲットCTを撮っても、
内リンパ嚢が映りにくい部分がある場合もある、という話を、
後に手術説明(入院3日目)のときに教えていただく。
  

入院から退院まで

1日目  入院する。
 クリニカルパスをもらう。  担当の看護師さんから、どんなスケジュールで病院で過ごすのか、という説明を受ける
(起床、消灯時刻、ご飯の時刻などは、病院によって違います。
私の記事に、起床や食事の時間が出てきても、あくまでも目安とお考えください)。

手術前日まで(丁寧語の部分を省略します)
1.用意するもの
・T字帯(病院の売店で売っている)
・ヘアピン(5本くらい)
・すいのみ
・ストロー(曲がるもの)
2.守っていただきたいこと
・イソジンガーグルで毎食後と寝る前にうがいをする
 (注:万が一風邪を引いた場合、全身麻酔ができなくなるから)
・禁煙(私はタバコを吸わない)
3.手術前日にすること
・手足の爪きり、マニキュアも落とす
・入浴、シャンプー
・毛剃り(手術する側の耳、私の場合は右耳の周りの髪をそり落とす。院内の理髪店に行く、1000円だった)

手術当日からの安静の経過(丁寧語の部分を省略します)

【注意】2001年当時と、現在では変わっていることがいくつかあります。
下表にまとめました。
「違いがある」という認識の下に、お読みください。
2001年当時現在
入院期間(私は)22日7日間
麻酔の方法全身麻酔局所麻酔
術前麻酔ありなし
手術室への入室ストレッチャーに乗せてもらう患者が自分で手術室に行く
術後安静3日ほど寝ていた手術後わりとすぐ歩ける

  手術当日〜3日目 4日目〜7日目 8日目〜
安静 ・ベッド上で寝たままの状態
・右側を下にしない
・状態に合わせ、主治医の指示により決定  ―→
食事 ・当日は流動食
・翌日からはおにぎり、寝たまま横を向いて食べる
・座れるようになったら、元の食事  ―→
トイレ ・尿は管が入っている
・大便はベッド上で便器を使う
・トイレに行ける  ―→
清潔 ・看護婦が体を拭く ・タオルを配るので、自分で拭く ・抜糸後、主治医の許可により、シャワー、シャンプーができる
処置
検査
・病室で行う ・歩行許可後は処置室で行う(歩行器を使用する場合もある)  ―→
テレビ
新聞
主治医の許可があるまで禁止  ―→  ―→

 夕方、聴力検査のため、耳鼻科外来へ行く。
他にも行く人がいる。
その人は、知的な女性で、メニエール病か突発性難聴かが分からなく、
急に入院することになった、と自己紹介してくださり、並んで外来まで行く。
私が手術後安静の間に退院されたようで、その後はお会いしていないのだが、
良くなっているといい、良くなっていますように、とお祈りしている。


 検査室で聴力検査員の先生と向かい合うと、
何か足りない書類があったようで、病棟に連絡をいれてくださる。
書類が整うまでの間、3日目の検査について教えてくださったり、雑談をしたりする。
 なお、聴力検査員の先生には、退院後、外来に経過観察に通うようになってからも、
執刀医の先生が別の病院に転勤されて、
後任の先生が担当になってからも、本当によくしていただいた。
先生が退職されることを知った日には、病院のトイレででぼろぼろ泣いてしまった。


 ベッドに帰ると、薬剤師の先生が待っていてくださる。
「常用している薬はありますか」
「美容のためにビタミン剤を飲んでいるとかは?」
 ということを聞いてくださる。
当時、
子宮内膜症のためナサニール点鼻薬、
神経症のため精神安定剤、抗うつ剤、
アレルギー体質のためアレグラ、
そしてもちろんイソバイドを服用していた。

先生にそう話すと、「それは・・・たくさん飲んでいますねぇ」と驚かれた。

 入院中、薬剤師の先生は、3日に1度くらいは病室に来てくださった。
とてもやさしくて、仕事の話を聞かせてくださった。
土曜日や日曜日の当直のとき、忙しい時間帯とそうでもない時間帯がある、など仕事の裏話が楽しく、
私は先生が大好きになった。

2日目   11時、麻酔科外来で、全身麻酔の説明を受ける。
 私自身が、「麻酔は怖い」という印象はなく、
「麻酔」の何が怖いのか、ということをぜんぜん理解していなかった。

だが、手術が決まる前に通っていた公立病院の先生が
「全身麻酔の手術になります」と、念を押すようにおっしゃったことは覚えていた。
 
 麻酔科の先生が、同意書を示しながら、次のような説明をしてくださる。
麻酔の方法・内容
・全身麻酔・・・静脈麻酔と、麻酔ガスのマスクをつけて、眠った状態で手術を受ける

麻酔の危険性および考えられる合併症
・麻酔は、安全性の高いものだが「絶対安全」というものでもない、という説明。
(その後、合併症として起こる可能性のある問題が、ずらずらずら・・・と書いてあるが、長くなるので省略)

手術前の注意
・食事および、水分の摂取制限を守る。
 麻酔をはじめるときに、胃の中に物が残っていると、
 麻酔中に肺にそれが入って、問題が起こる可能性あり。
・手術1週間前から禁煙
・風邪を引いたり、下痢をしたりしないように心がける(イソジンガーグルでうがい)

手術当日の注意
・麻酔を円滑にするため、手術前夜、手術当日に投薬、注射を行う。
・手術室へ行く前に、メガネ、入れ歯、指輪、時計、ヘアピンははずしておく
・寝間着の色が手や爪につかないように注意。またマニキュアは落としておく
 (手術中、手や爪の色を見て全身状態が悪くなっていないかを確認するため、
 余計な色がついていると、確認できなくなる)

手術後の注意
・手術後、肺に痰ががたまらないように、深呼吸をする
(私は実際には、あまり気にしなかったように思う いけない患者だ

「左手首の血管を確認させてください」と先生がおっしゃる。
「親指側の血管に、麻酔の点滴の針を入れます。
 血管がしっかりしているようなので、大丈夫、この血管から入れることができます」
「はい」
「手術の前に、シール状の麻酔薬を貼りつけて、血管に針を刺すときに痛くないようにします」
「はい(ちょっとびっくり)」
「手術室にはいる前に、筋肉注射を2回打ちます。
 少しぼんやりした状態で、ストレッチャーに乗って、手術室に入ってもらいます」
「はい(またちょっとびっくり)」
「では、手術までしっかりうがいをして、麻酔をかけられるようにがんばってください」
麻酔科の外来には、私のほかにも手術のための麻酔を受ける患者さんがいらっしゃる。
麻酔科の先生は、こんなにたくさんの人に、私にしたように一から説明するのか、と、すごいな、と思う。


 15時、耳鼻科外来で、家族も一緒に手術説明を受ける。
 先生は、同意書を示しながら、分かりやすく説明してくださる。
手術の内容・・・・右内リンパ嚢開放術
・耳後部切開→乳突洞削開→内リンパ嚢開放
・内リンパ嚢切開創にゼルフィルムを挿入
「人間の体には、傷を治そうという働きがあります。
 内リンパ嚢をせっかく広げても、その働きで元の大きさに戻っては困るわけです。

 それで高濃度ステロイドでできたスポンジみたいなものを、傷口に挿入します。
ステロイドには、傷を治りにくくする働きがあるので、傷はふさがりにくくなります。
長期間、傷がふさがらないと、人間の体はふさがらないという状態に慣れてくるので、
スポンジが体に吸収されてなくなっても、傷口の再閉鎖が起こりにくくなります。

 また、スポンジがまだ吸収されていない段階で、
スポンジを抱き込むように閉鎖した場合は、
内リンパ嚢が大きくなることになるので、それはそれで構わないわけです」

手術の必要性と、手術をしないときの経過予想

(ふゆうさんの場合は、左耳の平衡機能を10としたら、右耳の機能は3か4です。
難聴の進み方に比べて、平衡機能の阻害されている度合いが少し高いかなぁと思います)
注::( )内は、このときに説明があったか、どのときであったのか、
 自信がありませんが、このようなお話はありました

「めまいを何度も繰り返すうちに、感音難聴が進行してしまいます」
「長期になると、1割か2割の方が両側メニエール病に移行してしまいます」
「難聴がひどくなれば、それだけ手術の効果、悪化を食い止めるという効果は低下します」

他の治療法との比較、その利点と危険性
「点滴や薬の内服という内科的治療では、
 めまい発作がおさまらなかったり、予防できなかったり、という現状があります」

「前庭神経切断術という手術があります。
これはめまいを感じる神経を切ってしまう方法なので、めまいを感じなくなります。
ただし頭蓋骨を開ける必要がありますので、手術そのものの危険性が高くなります」

手術自体の危険性および考えられる合併症

予後(経過予想)および考えられる後遺症

通常は発生しないが起こり得る重大な危険性

その他
「手術は、対症療法です。
 5年、10年たって、めまいが再発してしまうことも、考えられます。
 その場合は、内リンパ嚢が再び閉じてしまった可能性が高いです。
 再手術ということも、あります」

手術説明・同意書についてのお問い合わせをいただくようになりました。
ご参考になれば、と思います。


注意
1.他院の書類は形式が異なることも多いです
2・掲載されているデータの数値は変わることがあります
3.麻酔の方法が、現在では大きく変わっているので、塗りつぶさせていただきました


別のタブが開きます
3日目 手術の前日
 今日は検査のため、9時以降、検査が済むまで絶飲食である

 9時、処置室で処置担当の先生が、髪を剃り落とす範囲を、マーキングしてくれる。
担当の先生は「後々困らないように、できるだけ狭い範囲がいいよね」と言いながら、
眉墨のようなもので、耳をぐるっと囲むように、マーキングしてくれた。
「今日中に、入浴、爪きりは、済ませておいてね。
 あ、でも、入浴は、理容室で剃ってもらってから。
でないと、マーキングの意味なくなっちゃうからね。がんばってね」
そのまま理容室に行った。

 ベッドに帰ると、
手術室の看護師から、当日の説明があるので、
 お帰りになったら、ナースステーションまでご連絡ください」と、メモがあった。
 手術室の看護師さんが説明にきてくれる。

「手術室に入ったら、ガウンを脱いでいただきますが、すぐにタオルケットをかけますので、
関係の無い人に裸を見られる、という心配は無いです」

「心電図の電極を貼り、麻酔のマスクをつけていただきます。
一つ一つ声をかけながら行いますが、何をされているのか不安に思ったり、
痛いと思ったりしたら、言って下さい」

「こうして、前日に説明に伺ったとき、笑顔で受け答えする患者さんでも
、 当日、手術室では緊張したり、不安になったりするかたは、たくさんいらっしゃいます。
あなたがそうなってしまっても、手術室のスタッフが対応しますから」

最後の説明は、 「自分が、不安や緊張がひどくなったら、申し訳ない。
 根性なしなので、不安になるかもしれない」
と、自分が言ったら、そう言ってくれた。

 検査のため、利尿剤を飲む
(昼ご飯を、後で食べることになっていたので、だったと思うので、お昼前後だと思う)

 検査は、利尿剤を使ってリンパ嚢でだぶついている水分を排泄し、
 できるだけ術後の状態に近づけてみて、
 手術という方法が、自分にとってどのくらい効果的か、
 確認するためにする、と説明してもらった。

「がんばって、飲んでいただかないと、いけないんですけど・・・」
看護師さんは、キンキンに冷えた状態にして、持ってきてくれた。
そのほうが、味の猛烈さ、受ける印象が和らぐから。
イソバイドを冷やして飲むのと、同じ理由のようだ。

私は、看護師さんの言葉が終わるときには、半分以上飲んでいたので
「え?」
「・・・、これ、イソバイドより猛烈な味っておっしゃって、
 飲むのに30分くらいかかる人もいたんですよ」
そこまでひどい味とは、思わなかったし、200cc程度だったので、すぐ飲めた。

 検査は、聴力を調べた(温度眼振検査はしていないはず)
 通常思い浮かべる、ヘッドフォンを当てて、
「ぴっぴっぴっぴ」という音が鳴っている間、リモコンのボタンを押す検査もあった。

 ヘッドフォンをあてて、機械が読み上げる「音」を復唱する、という検査があった。
機械は、一定のリズムで「あ」「き」「す」・・・と、
「音」を読み上げるので、聞こえたとおり、復唱する。
たしか、濁音「が」「だ」などの音が、聞こえにくかったように思う。


手術前日は、眠れない人もいる、とのことで、睡眠薬を処方される。
手術当日、7時までに排便がなければ、浣腸をする、と説明を受ける

 私が入院していた「中央病棟某階」では、小児科と耳鼻科の患者が入院していた。
中央病棟はさらに、中央A病棟(主に小児科の患者)、中央B病棟(主に耳鼻科の患者)に分かれていた。
私が入院した日は、両方の病棟に小児科、耳鼻科の患者と空きベッドが混在している状況であった。

 冬だったので、小児科の患者さんが多くなった(肺炎など)。
それで、中央A病棟に入院していた耳鼻科の患者さんが、
中央B病棟に移動することがこの時期に行われた。
さらに中央A病棟がいっぱいとなったので、中央B病棟にも、小児科の患者さんがいた。

この時点では、「人数が増えたな」とは思ったが、
新しく同室になった人と簡単に挨拶を交わした程度だった。



4日目 手術当日

 前開きのガウンを貸してもらって着かえる

 手首に、名札をつけてもらう。
麻酔が効いている間は、本人は返事をできないので、
名札で確認する、輸血が必要となった場合も、名札で確認するそうだ。
そのため、何度も「名前、血液型に、間違いがないですね」と、確認される。

 麻酔の筋肉注射を2回。
うとうと、というほどではないが、ぼんやりする。
筋肉注射を打ったら、意識が低下し、歩き回るのは危険なので、寝ている。

 先生は、他の手術が、午前中に1件あったそうだ。
私の手術は午後だったので、忙しいのに合間に顔を出してくださって、
「不安かな?」「そろそろ行こうね」「眠くなってきたね」と、声をかけてくださる。

 手術室までは、看護師さんがストレッチャーで連れていってくださる。
 髪の毛を包み込むキャップをつけてもらう。
 病棟から移動するためのストレッチャーと、
 手術室の台を、横にくっつけて並べ、ころんと寝転がって、手術室の台へ移動する。

 手術室の看護師さんが説明してくださったとおり、 ガウンを脱がせる、電極を貼る、麻酔のマスクをつける、など、
全部、話し掛けながら、してくれるので、不安はない。
肺のレントゲン写真を並べている先生がいる。
麻酔のマスクをつけてもらって、結構すぐに、眠ってしまう。

看護師さんの「ふゆうさん、分かりますか」の声で、目がさめる。
「あ、はい」
「時計は、〇時〇分です。手術、終わりましたので、病室へ帰りますね」
手術室の台と、移動用のストレッチャーを並べて、
ころんと転がって、移動用のストレッチャーに移動する。
尿道カテーテルが入っているので、看護師さんは、
「布団が引っかかったりすると、痛いので、言って下さいね」と声をかけてくれる。

自分のベッドへ帰る。
移動用のストレッチャーを、ベッドにくっつけて並べ、ころんところがって、ベッドに戻る。
酸素マスクをつけられる。
水分補給と、抗生物質を入れるための点滴をしている。看護師さんが言ってくれる。
「夜中の2時ごろに終わります。
看護師が見にきますので、コールなどは気にしないで、大丈夫です。
抜くときには、起こしてしまいますが、その他は、ゆっくり寝てください」


「ふゆうさん」と声をかけられて、自分がうとうと、寝ていたことに気づく。
「帰ってから、まだ30分も経っていないから、眠いね」。
 先生はミッキーマウスのペンを持っていて、「これ、見ててね」と言って、眼振を調べる。
 フレンツェル眼鏡をあてて、調べる。
「安定しているね。酸素マスクは、つけとかないといけない決まりなので、もう少しつけてて」


 頭を動かしたのが、悪かったのか、急に景色がぐるぐる回ってしまう。
「うわ!!」
 ベッド柵をつかんでいないと、つらい。
 ベッドが波打っているような不安感がある。
先生は、ミッキーマウスのペンを出して
「これ見て」「大丈夫、大丈夫、めまいのせいじゃないよ、落ち着いて」と声をかけてくれる。
「吐き気、する?」
「しない」
「うん、大丈夫。めまいがして、吐き気がするのは、仕方ないんだけど、
 めまいがしていないのに、吐き気がするとなったら、エライことやねん。
どこか、傷つけてるかも知れへんから」

 先生の「大丈夫」の言葉を聞いて、付き添ってくれた家族は、帰っていく。
外は、もう暗くなっている。

麻酔で眠った分、夜になっても眠くならない。

5日目
 2時ごろ、点滴が終わる。消灯された室内では、
 自分では点滴の確認はできないのだけど、
 看護師さんが時間どおりに来てくださって、針を抜いてくださった。

 スポーツドリンク、お茶などを、家族が買い置きしてくれたので、
自分で吸い口に移して飲もうとするけれど、ちょっと頭を動かすと、めまいがおきる。
看護師さんが、親切に何度も、覗いてくれたので、安心した。

 「頭をどの角度に向けると、めまいが起きるか、起きないか。
 どの角度に向けると治まるか」が分かってくる。

 朝が来て、病室が明るくなりはじめる。
 向かいのベッドの人は、真珠腫の手術をした女性だったので、
同じように「ベッドから動けない」という時期を経験されていた。
ブラインドの開け閉め、食事のときなど、
声をかけてくださったり、気を遣ってくださったり、とてもありがたかった。
この女性は以下、山田さんと表記する。


 縫い痕の処置は、処置担当の先生と、看護師さんが来てくださる。
消毒薬を塗って、ガーゼを換えてくださる。
消毒薬がひやっとする、冷たい、とは感じたけど、痛い、苦痛というのは、まったくなかった。

6日目
家族が来てくれる。食事を手伝ってくれる。寝ていたためあまり書くことはない。
祖母が「犬」のぬいぐるみを持ってきてくれる。
鳴いたりあるいたりするおもちゃである。
この「ぬいぐるみ」が、後に大変役立つことになる。

7日目
 8時ごろ、先生が来て「もうそろそろ、歩きたいよね」
「午後に、もう一度来ます。そのときに、歩行を許可することにするので、
 処置はここ(ベッド)でしてもらってください」と言ってくれた。

「歩くって、どんな感じ、だったっけ?」と、わくわくしたり、不安になったりする。

 13時ごろ、先生が、眼振を調べて
「看護師さんに、カテーテルを取り除いてもらいます。
 歩いていいよ。こけたら大変やから、しばらくは、歩行器を使って」
と、歩行を許可してくれる。

 看護師さんが歩行器を持ってきてくれて、一緒に病室と廊下を、歩いてくれる。
 始めの10歩くらいまでは「余裕で歩ける」と思うのだけれど、
実際には、結構すぐに歩けなくなる。

自分の「このくらい歩いてみよう」と思った距離の、半分くらいしか、歩けなかった。

 夕方、先生はまた、来てくれる。
「歩いてみて、どうですか?」
「めまいというより、足がぐらぐらしている、と思いました」
「足の裏っていうのがね、身体全体のバランスを保つためには、結構、重要な要素なんだね。
そこは、慣れて来れば大丈夫だから。
夕食、配膳台から、病室まで、持ってくるのには、まだちょっとしんどいと思うから、
食べて、空になった容器なら、軽いよね。
それを、配膳台に返すっていうのから、やってみたらいいよ」

 ご飯を食べてから、歩行器の前にトレイを載せて、そろそろそろっと歩いてみた。
まだまだ、足を引きずっていないと不安に思う。

 自分で食器を配膳台に返せたので、大変機嫌がよく、
歩行器そのものが、珍しく、面白いので、にこにこしている。

廊下の所々に椅子が置いてあるのだが、椅子に座っていた女性と目があったので、
「こんにちは」と言う。女性はにっこり笑って「こんにちは」と返してくれる。
 女性は歌手の安室奈美恵さんのような感じなので、以下「奈美恵さん」と表記する。


8日目

 朝の処置は、処置室へ行く。
といっても、処置室のすぐ近くの病室だったので、わりと簡単に行ける。

 他の病気でも、内耳をさわる手術の場合は、 術後は歩行器を使わなければならないそうだ。
その人達は「手術は、いつだったの?」と声をかけてくれる。

逆に、歩行器を使用しない人にとっては、
「耳鼻科なのに、なぜ歩行器を使っているの?」と不思議のようで
「腰痛などの、別の病気があるの?」と聞かれる。

 奈美恵さんがいたので、なんとなく隣に座る。扁桃腺の手術だという。
扁桃腺の問題を抱えている人が、私の身近にいなかったので、
奈美恵さんの「扁桃腺が腫れると高熱がでて、大変しんどい」という話を、興味深く聞く。
 
しばらくすると、美少女が付き添いの方と一緒に処置室前に来る。
美少女は以下、由美ちゃんと表記する。
由美ちゃんはにこにこ笑って、頭を下げてくれたので、私と奈美恵さんも頭を下げる。
奈美恵さんが「きれいな子やなぁ」と言ったことを覚えている。

 私は、対人関係についての自信をなくしていたので、
こんな風に「普通に人と話ができる」ということが、とてもうれしい。


 午後、先生が来てくださった。先生が研究していることを、教えてくださる。
「ネズミね、耳をつぶしたら、めまいを起こすねん。
 でも、数時間で、自力で回復して、また普通に歩けるようになるねん」
「ネズミって、そんなすごいハイパワーなんですか?」
「うん、大学院では、そのメカニズムを、研究してた。ネズミと仲良くしてた」

9日目
 この日くらいまでは、朝晩20分程度、抗生物質の点滴があったように思う。
(点滴はあったが、何日目までという記憶がはっきりしなくて、申し訳ないです)

   歩行器を観察したり、立ったり、座ったり、足首を回転させたりしていると、
同室になるらしい人のご家族が、近づいてくる。
「同室になる者の夫です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
「実は、耳が聞こえなくなったんです。
それで、会話なんか不自由ですんで、ご迷惑を掛けることになるかと思いますが・・・」
「いえ、そんな、お気になさらないでください」

女性のベッドは、カーテンがしっかり閉められていた。
重い突発性難聴だそうだし、無理に近づいても迷惑かもしれない、と思う。

食事のとき「配膳台まで行きましょう」と筆談や身振り手振りで話すこと、
「回診みたい」とメモを回すことなど、山田さんが気を配っているのを見て、
「山田さんってすごいな」と思う。

10日目
部長回診があった。
11日目  朝、先生が来てくださる。
「今日は、抜糸の日です。処置室で処置担当の先生が、してくれるから。
皮膚を傷つけるわけじゃないから、痛くないよ」
「看護師さんに、シャンプーしてもらう。
 それで、めまいが起きなければ、明日から、お風呂に入れるよ」


 9時ごろ、処置室へ行く。
「今日は、抜糸の日ですね。よかったですね」と処置担当の先生が言って、
処置を済ませてくださった。

 昼ご飯よりは、前だったと思う。
 看護師さんが、洗面台で、シャンプーしてくれる。
美容院でするような、仰向けの姿勢で、看護師さんがごしごしって髪を洗ってくれる。
「気分が悪くなったり、いたくなったりしたら、すぐに言ってくださいね」と、声をかけてくれる。

気持ち良くて、うれしくて、にこにこしながら病室へ帰る。
歩行器を使っていれば、ほとんど不安を感じないで、歩けている。

 先生が、午後に覗いてくれる。
「シャンプー、どうだった?」
「気持ち良かった」
「・・・めまいは?」
「あ、しなかったです」
「大丈夫だった? そうか、じゃあね、明日から入浴、お風呂に入っていいことにするね」


 先生との話の中で、日記を書くことにした。
「私は、イソバイドの味が好きだけど、
 前の先生(手術した病院を紹介してくれた先生)が、まずいって、ずいぶん言っていた。
前の病院の先生が、氷水で割ったら、ちょっと飲みやすいと言ってくれたので、
やってみたら、やたらと酸っぱくなった」

「薬剤師の先生が、初日に会いに来てくれたとき
「この味が、とても我慢できないから、もう病気が良くならなくてもいい、
 という人もいるくらい」と言っていた

「家族から、コーヒーにかつおぶしを入れたことがある人が、
おいしいと言っても、信じられない、と言われた。
ちょっとだけ味見をさせたら、後味が悪いって言われた」
「イソバイドのビンを飾っていたら、だいぶたまってしまった」とか、書いたように思う。


12日目
 今日からお風呂に入れると、わくわくする。
山田さんが「何時ごろがすいている。お風呂の中の様子はこんな感じだ」と教えてくれる。
 入浴前に、ナースステーションに行って、耳に水が入らないように、テープでとめてもらう。
入浴後に、テープをはずしてもらい、つめている綿が濡れていないかを確認してもらう。
濡れていたら新しいものと交換しなければならない。
 入浴はとっても気持ち良かった。

お風呂の向かいの部屋の男性が、偶然現れる。
この男性は、以下、名主さん(理由は後述)と表記する。
 「こんにちは」
 「こんにちは。包帯は取れたんですか?」
   「はい、おかげさまで。お風呂に入れたんです」
 「そうですか、私の部屋は風呂の前なので、人がいないときを選んで入れるんやけど、
 たまに、使用中の表示をしたままにしていく人がいてて、いつ空くんかなぁって思うんですよ」

 そんな話をしていると、奈美恵さんが現れる。お互いに、どこが悪くて入院したのかの話になる。
名主さんは、顔面神経麻痺のために入院したら、真珠腫が見つかり長期入院になった、と話してくださる。
「牢名主みたいなもんや」と笑っておっしゃる。
そうやって冷静に話せるようになるまで、どのくらいつらい思いをされたのだろう、と考える。

 この頃から、私は次第に口数が増えていったように思う。

  同室だった女性が近づいてくる。
「私、今日退院することになったんです」
「それは、おめでとうございます」と言いながら、大変複雑な気持ちであった。
女性は、突発性難聴だそうだった。

ある日突然、耳から入ってきた音が「ぼわーん」という音のようにしか、感じられなくなった、
という。検査をしても、別の重大な疾患があるわけではなく
、 ただ会話の問題だけのため、帰宅して、手話の習得などの努力をするそうだ。

「頑張ってください」というのは、
もう既に事実に直面して、受け入れようと頑張っている人に対し、失礼であろう。
それでも言わずにいられなかった。
「頑張ってくださいね」
ガッツポーズを作って見せ、メモ用紙に「がんばって」と大きな文字で書いたら、ガッツポーズを返してくれた。
ご家族、お子さんもいらっしゃるようで、大変だとは思うけれど、元気でいて欲しい。
少しでも良くなっていて欲しい。


13日目  日曜日のため、外出の人がぽつぽつといらっしゃる。
逆に、ご家族がお見舞いに来られている人もいる。
 先生が突然現れ、「日曜日なのに」と驚く。他に用事があったとのこと。
 「エレベーター空いている」
 「え? 乗った? 許可したっけなぁ」
 「あ、ご、ごめんなさい」
 「いや、もうそろそろいいんやけど、
上下の移動は、重力の関係でぼーっとする場合があるけれど、どうでした?」
 「特に、気分が悪かったというのは、ないです」
 「そうですか、では、カルテに書いておくね。
 主治医が許可って書いておかないと、看護婦さんが混乱するからね」
 「ごめなさぁい」

14日目
16日目には、歩行器なしで歩いていたはずなので、
逆算すると、14日目か15日目ごろから、歩行器を使わずに歩くことを始めたのではないかと思う。
記憶があいまいで、申し訳ないです。

 午前中に、奈美恵さんが退院する。

寂しさを噛み締めていると、山田さんがベッドに近づいてくる。
「ちょっといい?」
「うん、どうしました?」
「小児科の女の子、と思うんやけど、隣のベッドに入ってきたみたい」
「あ、誰か来たのは気付いてたけれど」
「すごい緊張して、話しかけたんやけれど、ちょっと無理みたい。
 ふゆうちゃんのほうが年齢が近いから、話せるかなって」
「分かった」

この少女は「ゆみちゃん」と記述する。
「こんにちは。急に入院したみたいやけれど、身体は大丈夫?」
「・・・うん」
「売店に行こうと思うけれど(思いつき)、何か飲み物とか、お菓子、買ってこようか?」
「あ!! お姉ちゃん、あれって、ぺこ(仮名)やろ?」
山田さんと私は、驚いて振り返る。そこには6日目に祖母が買ってくれたぬいぐるみのおもちゃが。
「え、名前あんの?」
ぬいぐるみを近くに持ってきて、あるかせてみる。
「うん、これ私も持ってる。ぺこ(商品名)っていうねん」
「そうなんや、勉強になりました(ぺこり」
「ふゆうちゃん、ゆみちゃんとおんなじ趣味なんや」
「それもある。犬=いぬ=帰るいう駄洒落って言うか、お見舞いあるやん、なぁ、ゆみちゃん、分かるよな」
「・・・?」
「あ、ごめん、やかましくてごめんな」
しばらく、山田さんとゆみちゃんで会話する。
ゆみちゃんは、はじめに受けた「内気な子」という印象よりは、
段々「少し幼いが、とっても素直な子」という印象に変わってくる。

夕食も近づいてきたので、「ご飯だご飯だ」と配膳台へ移動したため、いったん会話は中断する。

配膳台から帰ると、ゆみちゃんのお母さん、ゆみちゃんの主治医の先生もこられていて、
込み入った話のようなので、そばに居ないほうが良いと思い、
部屋を出て、そのまま他の人と雑談していた。

帰室すると、ゆみちゃんのお母さんが
「あの、これを召し上がってください」と、シュークリームをくれる。
「あぁ、いいんですか? ありがとうございます」
「あの、ゆみのことを、どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ。さっきゆみちゃんに、このぬいぐるみに、ぺこって名前があることを、教えてもらったんですよ!!」
にこにこしているゆみちゃんの横で、
お母さんは、「へぇ」と言ったきり真っ白になっておられた。ごめんなさい。


15日目
 午前中に、隣のベッドに入院された人がいる。
徳田さん、と記述する。徳田さんは、おおらかな女性だ。
初日に、同じ部屋の私たちに、わざわざお菓子を買って配ってくれたりする心配りもあった。
そんな徳田さんの優しいところを、ゆみちゃんがとても好きになったようで、
徳田さんとゆみちゃんはいつも仲が良かった。

 夕方、名主さんと、喉の手術をされた男性(和田さんと記述する)と、
なんとなく廊下のベンチでしゃべっていると、入院されたばかりの女性が加わってきた。
この女性は酒井さんと記述する。酒井さんは、顔面神経麻痺で急に入院されたようで、
まだ少し、落ち着きのない様子ではあった。

酒井さんの話を聞いているとき、もう一人、腕に点滴の管をつけたままの女性が話しに加わってきた。
こ の女性は雲井さんと記述する。
雲井さんはひどいメニエール病の発作で、救急車に乗ったこともある、という。
私がメニエール病の手術をした話をすると、
「私も、別の病院から、K先生を紹介してもらったところだった。
 K先生はよく来てくれるね」と話す。
いつの間にか、山田さんやゆみちゃんが加わっていて、
廊下を塞ぐような体制で、座談会をしていることに気付く。

ナースステーションから医局へ帰る先生(部長先生含む)が、
「仲がいいですね」と笑いながら去っていく。

16日目  部長回診のアナウンスがある。
実際には、入院や手術前の患者のところへ、先生が結構来てくださっていた。
入院や手術は病棟全体で見れば、しょっちゅうあるので、
耳鼻科の先生が4人全員で、様子を見に来てくださることは結構ある。

 私はベッドの脇に立っている。「来週退院するから、お礼を言いたい」という気持ちからか、
今までにもなんとなく立っていたからか、よく覚えていない。
 執刀医の先生が、部長先生に「来週退院するんですよ」とおっしゃった途端に、
自分は前のめりに倒れていて、婦長さんに支えられていた。
足が滑ったとか、何かに躓いたという感覚はなく、何が起こったのかと呆然としてしまった。
 執刀医の先生がベッドに寝かせてくれる。別の先生が眼を開けて「大丈夫?」と聞いてくれる。
 わけがわからない。
 看護婦さんが血圧計を持ってきて、計ってくれる。
 「血圧が上がっており、脈拍も速い。何か、不安を強く感じたのではないか?」
 「執刀医の先生が、回診が途中なので、終わったら再び来てくれるからね」
 今でも、婦長さんのこの言葉の後、ぼろぼろと泣きながら過ごしたことを、鮮明に思い出す。
 執刀医の先生が来てくださる。

   ともかく、看護婦さんに「もう大丈夫」と伝えようと、ナースステーションへ行く。
「大丈夫ですか?」とやさしく聞いてくださる。

17日目  奈美恵さんが、「外来(術後経過観察)に来た」と顔を出してくれる。


18日目
このとき、外はまだ雪が降っている寒さだったのだが、
アイスクリームを食べることにはまっていた。
エレベーターに乗ることを許可されて以降、
売店まで自由に降りていけるので、外は寒いにもかかわらず、1日2回ほど食べる日もあった。

この日も、朝っぱらから売店の前でアイスクリームと格闘していたら、
K先生が「手術行って来ます」と前を通っていかれた。


退院する前に、先生にお礼の手紙を書くことにした。
もう一生会えないわけじゃないけれど、今日から書き始めて、退院までにしっかり書こうって思う。

先生に見せている日記に「他の患者さんがしゃべってくれて、楽しい」と書いた。
「そうだよね。けっこう色んな、他の患者さんとしゃべってるよね?」
「はい、しゃべってくれるし」
「いや、前の病院の先生から紹介を受けたときに、
もっと緊張して、しゃべらないっていう感じを想像してたんだけど」
「多分、前の病院の先生からみたら、そう見えるっていうのも分かります。
きっちり症状を書いていかないといけないとか、他の治療がどうなってるとか、
全部、しっかりいえないといけないとか、思いすぎてたんだと思います」

19日目
 土曜日だったので、外出、外泊の人が多くてさびしいと思う。
 ある季節のお祭りと重なっていたため、夕飯が寿司ご飯である。他の人と一緒に激しく喜ぶ。


20日目  入浴に行っている間に、家族が面会に来てくれたので、
「どこに行ってるんだ」と心配を掛けてしまう。

21日目  9時に処置室へ行く。処置担当の先生が
「退院おめでとうございます!!がんばってね」と言って下さる。

 私は入院するとき、鞄に詰めてきた荷物の他に、
「不安」という荷物を背負ってきたのだなぁ、自分でその荷物を重くしていたのだなぁ、と思う。

 執刀医の先生は、外来に出られているため、今日は、直接はお会いできない。
心の中で「本当にありがとうございました」と御礼を言って、入院代を払って病院を出る。

退院後

 2週間に1度、執刀医の先生の診察を受ける。
特別な検査ではなく、ごく普通の聴力検査、フレンツェル眼鏡をあてての眼振検査、鼓膜の視診など。
めまいが起こらないので、イソバイドの量は減らしていく。

 退院からおよそ3ヶ月後に、温度眼振検査を一度受ける。
たしか、このときも「あ」「き」「す」を聞き分ける検査( 3日目に記述したのと、同じ検査)を受けたと思う。
このとき、「公立病院で温度眼振検査をしたとき」の笑い話をする。その内容については後日加筆。

 このころ、メニエール病によるめまいは、もう起こらなくなっている。

 イソバイドの瓶で芸術作品「壁」「ピラミッド」を作って、写真を撮って先生に見せる。
「積んだだけなので、芸術とは呼べない」との評価をいただく。
「船」「瓶文字(瓶を「イソバイド」という形に並べる)」なども作る。

 同じくらいの時期に、入院 16日目の部長回診のときのような
わけの分からない症状に見舞われるようになり、
かかりつけの精神科の先生が
「パニック障害や解離性障害の治療として、森田療法の指導をしているが、やってみるか」とおっしゃる。

 その治療の課程で、メニエール病とパニック障害や解離性障害とが、混在していた部分があったり、
お互いがお互いを強めてしまっていた部分があったりしたのではないか、と気づく。
ある程度、体が良くなったからこそ、心の問題と向き合えたのだと思う。

 退院からおよそ5ヶ月後に、フィットネスクラブに通い始める。
その当時は、足の筋肉や、平衡感覚を鍛えることで、よりめまいを抑えることができるという先生の言葉や、
ストレス解消ができれば良い、という程度に思っている。

 退院からおよそ8ヶ月後に、先生が別の病院に転勤になる。
 後任の先生に診察していただきながら、2年ほどは、少量(1日30ml程度)のイソバイドを飲みつづける。
 そのままめまいが起こらず、聴力も落ちないため、イソバイドを完全に止める。
 2ヶ月に一度、通院していたが、半年に一度、聴力検査に行くだけとなる。

謝辞

 入院中に、「退院できたら、今まで経験したことのないようなことを、してみたい」と思ったことのうち、
ほとんどは、思ったとおりか、それ以上の形で実現できました。
例えば「日記をつける」という習慣も、この入院中にできたものです。


 この文章を書くチャンスを下さった、
コミュニティ「打倒!!イソバイド!!」 管理人 ぷにゅ様
「打倒!!イソバイド!!」のメンバーの皆様
執刀医のK先生に感謝いたします。


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