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今日から病気も友達 (MyISBN - デザインエッグ社)

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春の小川はもう流れていない

メニエール病めまい発作を予防するには、
ストレスを軽減したり、小さな楽しみを持ったりすることが、有効です。
私が持っている「小さな楽しみ」をご紹介します。

※※※ただし、医学的根拠に基づくものではなく、私の趣味に基づくものです。
  素っ頓狂な方法も含まれている可能性があります※※※


春の小川」という歌を、聞いたことがおありでしょう。

春の小川」作曲・岡野貞一 作曲・高野辰之

春の小川はさらさら流る
岸のすみれやれんげの花に
匂いめでたく色うつくしく
咲けよ咲けよとささやく如く


さてイタリックで表現した部分「流る」「如く」は、
現代の小学生の言語知識にあわせて、書き換えがされて、音楽の教科書に掲載されています。

「流る → ゆくよ」
「ささやく如く → ささやきながら」

このことの是非については、ずいぶん論議がされていた記憶があります。
「もとの歌のもつ雰囲気を壊してしまう」
「現代の小学生にとって、難しすぎる言葉を遣うと、音楽の授業が楽しくなくなってしまう」
どちらにも、一理がありますし、
どちらにも「そうではない」と反論すべき点があります。

「もとの歌のもつ雰囲気を重視するあまり、
 敬して遠ざけられるような存在になるのも、もったいない」
「現代の小学生にとって、難しすぎる言葉であっても、
 音楽をきっかけに覚えることができればいいのではないか」
とも言えるからです。

「永久に変わらない」
「時代に合わせて簡単に姿形を変える」

どちらにも利点・欠点があります。
メニエール病の人、特に重症化させてしまう人の性格として
「相手の意向によって、自分の意見を変化させることができる」
という長所・短所を抱えている人がいます。
「さらさら流る → さらさらゆくよ」の変化を肯定できるタイプの人です。

長所・短所と書いたとおり、これは悪い点ばかりではありません。
「全員が自分の意見を曲げない」
「他人の顔色・その場の空気が読めない人ばかりが存在する」
という世界は、おそろしく暮らし難いということは、簡単に想像がつきます。

しかし、困った点もあります。逆に考えてみると、それがわかります。
「全員に自分の意見がない」
「他人の顔色をうかがう・その場の空気に従う人ばかりが存在する」
という世界も、おそろしく暮らし難いです。

「他人の顔色を伺う」ということは、一見「美しい行ない」に見えます。
しかしこれは、裏を返せば 「自分には、他人の要望にこたえる能力がある」という思い上がりであったり、
「他人の要望にこたえて、賞賛を得たい」という自己顕示欲の現われであったりします。
「他人の顔色を伺う」ことが、
行きつくところまで行ったものがヒステリー性格とか自己顕示欲性格というもの、かもしれません。

一方でメニエール病を重症化させてしまう人の性格として
「一度取りかかったことは、とことんやりぬく」という性格を持つ人がいます。
春の小川」で言えば「さらさら流る」を貫くというタイプの人です。

メニエール病患者の中には、この両方が存在します。

春の小川という歌を、何がなんでも教科書に載せておきたい」
という観点からみれば、多少の歌詞の変更してでも載せる、という考え方が一つあります。

一方で、何がなんでも「さらさら流る」のままがいい、という人は、
教科書から消えようと、どうしようと「さらさら流る」と歌いたいと思うのです。
このように「何をメインに据えるか」という価値観の違いはありますが、
「とことんやり抜く」「時代の変化を反映する」は両立できるものなのです。

これを人間関係に置き換えますと、
「いったん、他人の顔色をうかがい始めたら、とことん知り尽くさないと、気が済まない」
というような状態となり得ます。

他人からの賞賛、報酬を期待して、自分を抑えて頑張る、ということになります。
メニエール病患者自身に、
このような性格、行動様式を自覚させることが、治療を進ませるという説もあります。

さて、話は歌に戻ります。
春の小川」とは、いったいどの川だったのでしょう?
今、「春の小川」はさらさら流れているのでしょうか?

実は、ほとんどその姿を消してしまっています。

なぜなら・・・。

春の小川の流れていた跡には現在
「渋谷109」をはじめとする現代的な建物が、がんがん建っているからです。
現在残っているのは「渋谷川」として、ほんのわずかの部分だけです。

春の小川」は
「河骨川」という宇田川の支流であった川をモデルとして、作られた歌なのです。

河骨川は、第2次世界大戦後、復興を目指す人々の手で、暗渠化されました。
現在は下水道化されています。
それは、戦後日本の復興を目指す上では、必要なことだったかもしれません。
20年、30年経ったときに、どのような影響が出るか、ということまで、
考えられなかったというのは、仕方がなかったのかもしれません。

しかし、現在の渋谷109やその周辺の風景に象徴される若者文化を見て、
日本人は手放しで喜ぶことができるでしょうか? 
今の春の小川跡地をみて、
作詞者・作曲者のお二人は、どう思っているんでしょうか?

川は自分の意思を主張できません。人間の言いなりになるしか、ありませんでした。
しかし、長い時間がかかりましたが、自然破壊・環境破壊というものは、
簡単に元に戻せないような、重大な問題であることに、
人間の側も少しは気づき始めたとも、言えるでしょう。

メニエール病患者にとって、
他人の言いなりになること、他人の顔色をうかがうということは、
あまりにも当たり前の事ですので、今更そのような行動様式を変えることなどできない、
と思われるかもしれません。
しかし、今、少しだけ勇気を出すことが、何十年後の自分を変えてくれるかもしれません。
今、少しだけ「自分の意見」を持つことが、人生のターニング・ポイントとなるかもしれません。

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