「メニエール病はそんな簡単な問題ではない」「原因が分からないなんて……」

素人があれこれ考えただけですので、医学的な部分で誤りがあるかもしれません。

当方に次のようなお話を聞かせて下さる方がいます。

「ストレスを溜めないようにとか、少しは運動したらいいんじゃないのとか言われるけれど、そんな簡単な問題じゃない」
「原因が分からない病気だなんて、ショックです」

私の考えがベストな方法であるかは分かりませんが、いくつかの論点が絡み合っていると考えられますので、整理しながらお話させてください。

何のためにインターネットで検索していますか?
どんな複雑な問題だったら納得できますか?
アドバイスの何に腹が立つのでしょうか?
「原因を知る」のは何のためでしょうか?
まとめ

何のためにインターネットで検索していますか?

インターネットという情報の洪水の中で、欲しい情報・知りたい情報を集めているうちに、
「何のために検索しているのか?」
ということ、つまり目的を忘れてはいませんか?

一言でいえば、
「楽になる方法を知りたい」
これが、目的だったのではないでしょうか?

そのために検索し始めたはずなのに、
・メニエール病の原因は何か?
・解決方法はあるのか?
・どこで治療を受けたらいいのか?
・名医の治療を受けたい
・有効な治療があるなら試したい
……様々な情報を探すうちに、目的を見失ってはいないでしょうか?

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どんな複雑な問題だったら納得できますか?

メニエール病への理解がない人ばかりに囲まれているという患者さんも残念ながらまだまだ多いです。私は、母方の祖母と、父・父の兄弟全員がメニエール病なので、まだ理解してもらいやすい環境でした。

「理解もしていないのに、安易なアドバイスなどしないでっ!」
「努力していないわけじゃないのに、もっと・もっとと責めたてないでっ!」
というお気持ちは分かります。

ただ「そんな簡単な問題じゃない」と声を枯らして訴える事で、あなたの症状が楽になるのでしょうか?
「難病なんだ、複雑な問題なんだ」と理解してもらうべく必死になったところで、あなたとあなたの周囲の人は幸せになるのでしょうか?

そこまでの理解を他の人に求めるというのは、甘えや期待のし過ぎだとも思います。
たとえば、あなたのもとに
「7億円の負債を抱えていて、明日食べるご飯もない」
という相談があったとして、あなたはその気持ちが理解できるでしょうか?
ご飯を1食くらい振る舞うことはできても、法的・実務的に有効なアドバイスができるのでしょうか?

病気の相談・愚痴というのは、健康な人にとって非常に負担になるということを、認識しておくべきだと私は思います。

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アドバイスの何に腹が立つのでしょうか?

「少しは運動したら?」「ストレスを溜めないように」といったアドバイスに腹が立つ。
では、どの点に腹を立てているのでしょうか?
・めまいがひどいのに、運動なんてできない!
・ストレスのせいだと言われると、自分の心に問題があると言われているような気がする
・自分の話を最後まで聞いてくれず、適当な言葉でお茶を濁された感じに腹が立つ
・「原因が分からない」というモヤモヤした感じに不安を覚える

ここで、少しだけ考えて欲しいのです。
「自分は、そのような態度をとって来なかったか?」
ということを。

・誰かからの相談に、生噛りの知識でアドバイスしたことはなかったか?
・誰かからの相談に、時間がない、面倒だなどの理由で適当な応答をしたことはなかったか?

人の態度というのは、自分のしてきたことを映しだす鏡だとも言われていますので、この機会に振り返ってみるといいかもしれません。

すると「この人も、忙しい中で相談に乗ってくれたのだな」「この人も、こんな重苦しい相談をされて困った末に、こういう言葉を言ったのだな」と、その人の事情・心情が理解できるかもしれないのです。

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「原因を知る」のは何のためでしょうか?

メニエール病の原因を知るのは何のためでしょうか?

「原因を知れば、解決法が見えるから」
これが1番の理由です。
しかし、メニエール病については「原因がまだ分からない」とされている以上、分からない中で楽になる方法を見つけるしかありません。

現在、イソバイドやメリスロン等の投薬を受けている人は「原因が分からないなりに、なんとか楽になる方法」だと考えて、頑張って服薬してください。まずいけど。。。

また、有酸素運動や自律訓練法などを続けることも、「原因が分からないなりに、楽に過ごす方法を模索する」という意味で役立つかもしれません。これらを治療として積極的に取り入れる先生もいます。

多くの先生方が研究を重ねて、それでも原因がはっきりしいないという状況なので、素人が「ああかもしれない、こうかもしれない」と考えることに時間と労力を費やすよりは、「現実的に少しでも楽に過ごせる方法を活用する」という方向に力を注いでいけばいいのではないでしょうか?

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「腹が立つ」「不安」はいったいどこにある?

「腹が立つ」「不安」という気持ちは、どこにあるのでしょうか?
宇宙のかなたから降ってくる?
地面から湧いてくる?

でも、もしパソコンの前を離れ、トイレに行ったとしても、台所で料理をしているとしても、腹の立つ気持ちは消えずにあります。このような気持ちが「自分の内側」にあることの証です。>

それはすごく幸運なことです。
主導権は自分にあるということですから。
たとえば、雨や雪のように「もう、いーやーだ!」となってもどんどん降ってこられるのとは違い、自分がコントロールできるのです。

かくいう私も、誰かを憎み、怨みつらみの気持ちを抱えてしまい、苦しくなることがあります。 しかし「その人のせいで」しんどいのであれば、その人が地球上からいなくならない限り、自分のしんどさがつづいてしまいます。「しんどいと思う自分」をコントロールするんだ、と考えれば主導権を自分に取り戻せるのですから、解決策も見えてこようというものです。

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まとめ

あなたが、インターネットでメニエール病について検索をしている。
その動機を思い出してください。

「楽になる方法を見つけたい」
これが動機ではなかったですか?

「メニエール病はそんな簡単な問題じゃない」とさけびたい。
それは「周囲のアドバイスに腹を立てたくない。腹を立てることで苦しい思いをしたくない」という気持ちの表れかもしれません。
それならば、メニエール病が簡単な問題かどうかというよりも、「あなたが腹を立てない方法」を見つければいいのかもしれませんね。

「原因がわからない病気なんて、ショックだ」
それは「原因がわからなければ、治療法がないの?」という不安の表れかもしれません。
それならば「原因が分からないなりに、楽になる方法はある」ということを知ればいいのです。
たとえば「有酸素運動で楽になるかもしれない」と言われても、寒い冬や暑い夏、外に出ていくのは不安だ。ならば、家の階段を上り下りしているだけでも、ずいぶん違うかもしれませんね。

今回は「そんな簡単な問題じゃない」「原因が分からないことが不安だ」という気持ちについて考えてみました。私流の対処法ですが、お役にたてましたら幸いです。

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