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今日から病気も友達 (MyISBN - デザインエッグ社)

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4回目のBPPVになった話

【0】はじめに
【1】 今までのBPPV経験との共通点 
 【1−1】これまでのBPPV経験との共通点 
 【1−2】他の科の症状 
【2】4回目のBPPV発症前後 
 【2−0】めまいが起こるまで 
 【2−1】初めの頭位めまい 
 【2−2】症状を観察 
 【2−2】専門家のアドバイスを受ける 
【3】治るまでの流れ
 【3−1】気のせいでは? 
 【3−2】めまいを強く感じるようになったのは 
 【3−3】年が明けて 
 【3−4】仕事始め 
 【3−5】宝塚歌劇観劇 
 【3−6】文楽観劇 
 【3−7】症状が消える 
 【3−8】内科&皮膚科の診察 
 【3−9】本当にありがたい 
【4】終わりに 

はじめに

良性発作性頭位めまい症(Benign paroxysmal positional vertigo)とは
「頭の向きを変えたときに起きるめまい=頭位めまい」を起こす病気です。

詳細な説明はBPPVになった話をご覧ください。

BPPVには
●過剰に安静にすると、かえって症状が長びく
●長くても数分でめまいが治まる
●メニエール病と違って、一定期間たてば治る
という特徴があります。

今、不安や恐怖を頂いている皆さんに「必ず、良くなります」「大丈夫!」ということをお伝えするために、この記録を残すことにします。

なお、K先生から次のアドバイスを頂いたことを、書き加えます。


BPPVは何回起こっても治癒する風邪のようなものだとお伝えください。


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これまでのBPPV経験との共通点

今までに3度のBPPVを経験していますが、私の場合、BPPVだけでなく他にも体調不良が起こっていることが多かったです。
今回も共通する出来事が、いくつかありました。

過去のBPPV経験との比較

2011年3月
初めてのBPPV
2012年1月
左耳のBPPV
2012年3月
3度目のBPPV
2012年12月〜2013年1月
4度目、左耳のBPPV
何にストレスを感じたか? 親族間の揉め事
様々な相談ごとが持ち込まれ量的・質的に私の許容量をオーバーした。

様々な相談ごとをお受けしていたが、私の相談に乗ってくださる専門家とのご縁ができて、少し楽になっていた。
2012年9月に腸炎になり、身体的には回復したものの、精神的な落ち込み・無気力感が長く続いた。
身内が救急搬送された 祖母が腸穿孔で。
入院期間は2ヶ月ほど
父が急性胆管炎で。
入院期間は3週間
救急車は呼ばなかったが、体調を崩した者がいた
親戚が腸の病気で救急搬送
仕事が多忙 確定申告の時期に加え、東日本大震災で人手不足となり、途中からは激務化。
BPPVの症状が出る直前に徹夜の日がある。
年末年始のため、発症の一ヶ月前から多忙。
BPPVの症状が出る直前に徹夜の日がある。
BPPVになる前の1か月半に3回ほど泊まりがけの出張。
確定申告事務のため多忙。
急ぎの仕事のため、BPPVの症状が出る直前に徹夜の日がある。
BPPVになる前の1か月半に3回ほど泊まりがけの出張。
発症したのが年末のため、多忙の真っただ中。
BPPVの症状が出る直前に徹夜の日がある。
BPPVになる前の1か月半に3回ほど泊まりがけの出張。
飲酒について 「父が退院するまで酒は飲まない」と決め、守っていた。
飲んでいましたが、適量を保つことができていた。 多忙のため、飲んでいる暇がなかった。 年末年始のため、飲酒の機会は増える。
しかし「会合・食事会の後にも仕事」ということが多く、適量を意識して飲んでいた。
他の科の症状はあったか? あった。
あった。 あった。 あった。
体重の変化は?
(身長 167センチ)
50キロ→48キロ 51キロ→48キロ 51キロ→49キロ 52キロ→49キロ
症状の気づき方 夜中に布団でごろごろしていて、めまいに気づいた。
目が覚めて、基礎体温を計ろうとしてめまいに気づいた。
「右耳が悪い」と思い込み、頭位を変えてもめまいが再現できず、逆に慌てた。
昼間、台所で作業中にめまいに気付いた。 夜中、目が覚めた際に「何か不安な感じがする」と思った。
しばらく経って「短時間のめまいを起こしているんだ」と気づいた。


他の科の症状

2011年3月
初めてのBPPV
2012年1月
左耳のBPPV
2012年3月
3度目のBPPV
2012年12月〜2013年1月
4度目、左耳のBPPV
内科・皮膚科 冬の終わり〜春の初めのため、夜中に激しい咳が出ることはあり。

父の入院後すぐに、メリスロン、メチコバールを応急処置として処方くださる。

貧血は「大丈夫そう」と言ってくださる。
喘息は出ていない。

12月にひどい皮膚炎。1月にはずいぶんと綺麗に。

メリスロンの臨時処方をしていただく。

喘息は出ていない。

BPPVの症状は軽いのに、体がだるく、集中力がなくなった。
先生が「耳の病気が原因とは思えない」として、検査をしてくださり、軽い鉄欠乏性貧血になっていることが判明。フェロミア(鉄剤)を1か月処方いただく。
喘息は出ていない。

2012年9月に腸炎になる。
抗生剤をいただき、CRPは0.0に落ち着いたにもかかわらず、食欲がなくなり、物事に対する意欲が湧かなくなる。
外科 偶然にも外科へ行く時期でなく、特に動きはなし。

婦人科でプロラクチン値の上昇を指摘されたため、相談をする。
2011年12月、
外科予約日の朝に胃けいれんを起こす。

高プロラクチン血症のため、乳腺トラブルがあった。
高プロラクチン血症のためか、乳腺症のせいか、乳房からの出血が続く。
S先生がエコー検査を手配してくださる。

「BPPVの際にはナウゼリンよりガスモチンのほうが、より効果が上がる」として処方して下さる。
2012年12月、校了日の翌日が診察日。
S先生に、猛烈な吐き気がすることをお伝えすると、ネキシウムを処方してくださる。

高プロラクチン血症のためか、乳腺症のせいか、2013年に入ってすぐ乳汁が分泌されるようになる。
婦人科 ホルモン剤を使わず、対症療法が中心。
高プロラクチン血症のため、カバサールを服用。

2012年1月5日の診察で、正常値に戻ったため、服用を一端やめることになる。

2012年2月、高プロラクチン血症と思われる症状のため、カバサールの服薬を再開。

BPPVの前後には、月経困難症の症状がひどく感じられ、鎮痛剤をたくさん使用しなければならなかった。
2012年11月ごろより無排卵。

2013年になってカバサールの服用を再開。

BPPVの前後には、月経困難症の症状がひどく、鎮痛剤をたくさん使用する必要があった。

精神科 何かあったら精神療法と抗不安薬の頓服で対処。
年末年始のため、薬を多めに処方いただき、診察の間隔を空けている。
3年ほどお世話になった精神科のL先生が別の道を歩まれることになり、主治医が院長先生に戻る。 2012年9月に腸炎になり、身体的に回復しているのに、無気力感が長く続く。
精神科のN院長先生より「あまり薬は増やさず、森田療法的に対処しましょう」と言われ、
●規則正しい生活をする
●何もしない時間をなくす
●なるべく体を動かすようにする
の3つを心がける。

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4回目のBPPV発症前後

【2-0】めまいが起こるまで
2012年9月の上旬、私は腸炎にかかりました。内科&皮膚科のH先生に抗生物質を頂いて服用し、水分を取ることを心がけていると、10月の初めに腸炎の症状はおさまりました。
ここまでの話は「怪しい受診日記」に、K先生との対話として書いてあります。


腸炎は治ったのですが、軽いうつ状態が長く続きます。症状としては次のようなものがありました。
●無気力になる
●仕事はできるが、他のことが楽しくない
●これまで好きだったラジオが楽しくない、騒音のように感じられる
●このまま、私がいなくなっても、誰も困らないと感じられる
●ブログの更新などとてもできない

10月の後半になり、この件について精神科のN院長先生に相談します。
●今は、抗うつ剤などは処方しないことにする
●森田療法的な考えで乗り切ろう
ということになります。
森田療法では、気分の波に注目するのではなく、気分がどうあれ「行動をする」ことを重視します。
そして「気分がどうであれ、仕事や家事などの行動ができたのであれば、そのような自分を認める」ようにするのです。

「何もせず、ぼんやりしている時間になると、気分が落ち込みやすい」と気付いた私は、以前からやりたかった編み物を始めることにしました。手を動かしていると、余計なことを考えずに済み、12月末にはマフラーを1本編み上げることができました。


11月後半、N先生と次のように話し合っています。

「(無気力になって)仕事も、止まってしまってますか?」
「いえ、仕事はできます」
「……ふつうは、仕事が嫌になるんですけどね」
「なんか、わかる気がするんです」
「は?」
「(旧来の意味での)うつ病の方って、仕事とか家事とか遅れるようになったら、『みんなに迷惑かけてるんだー』ってなって、ますます落ち込んでいきはるんですよね」
「そうですね」
「なんか、自分は仕事が救いになってて、ありがたいことやと思いますね」
「まぁ、そうですね。幸せやと言えるでしょうね」


10月〜11月ごろ要求される質が高い仕事が次々と持ち込まれます。このご時世に、本当にありがたいことです。
新規案件に取り組む際は、クライアント、エージェントとのコミュニケーションに神経を使います。また、原稿を書き始めてからも変更事項が多いです。そのため、「何をしていても常に仕事のことを考えている」「より良いアイディアを探している」状態になります。
1日に16時間も仕事をして、それ以外には「ご飯・お風呂・寝る」だけで精いっぱい、という日々が何日もありました。

12月半ばある案件が校了(校正が終了し、原稿がライターの手を離れる段階)となりました。
校正中は、一字一字を丁寧に見直す細かい作業が続きます。胃がチクチクと痛み、やがて焼けそうな痛みに変わりました。
校了となった翌日が、外科の診察日でした。朝起きたときから吐き気が強く、冷や汗びっしょりで外科外来へ出かけます。

S先生が、いつも通り明るい口調でたずねてくださいます。

「調子はどうや?」
「……本音を言っていい?」
「うん」
「今、吐きそう」
「吐きそう? 息が、しんどい?」
「いや、息は、吐きそうやから、ゆっくりしてしまう」
「あ、そっか。薬は?」
「家に帰ったら、ナウゼリンとガスモチンある」

「……痛くは?」
「昨日、痛かった」
「昨日に何かあった? 熱が出たとか、下痢とかは?」
「一昨日まで平気で、昨日が校了の原稿があって」
「うん」
「ストレスがかかったとは、思う」

触診などをしていただいた後、ネキシウムという薬を出していただくことになります。

「今年もお世話になりました」
「良いお年をお迎え……というか、まず良い明日迎えてな」
「はい、たまたま、しんどいピークに来ただけやから、大丈夫と思います」
「うん。このところ、症状あるときに来てくれたってこと、なかったからな」
「そうですね」
「薬局でもらったら、すぐ飲んでな」

S先生の指示通りネキシウムを飲むと、その日の夕方にはずいぶん楽になります。

12月の後半、婦人科のT先生のもとへ行きます。

「基礎体温表をもってきました」
「(見て)……過長月経やな」
「そもそも、排卵ないですよね」
「ん?」
「ん?」
「ホンマや、ないわ」
「だから、だらだら出血するのは、仕方ないんじゃないでしょうか」
「まぁ、そうや……って、あかんやん!」
「え? 間違ってます?」
「いや、あの、ここまではっきり無排卵やと、あかんやんって意味」
「そ、そうか、そうですね」
「ここまでキレイなんは、久々やな」

年明けにも同じ状況が続くようなら、何か対策を考えることになります。


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【2-1】初めの頭位めまい

2012年12月23日ごろより、布団に入ってもなかなか寝付けず、寝汗をたくさんかくばかりの時間が過ぎるようになります。パニック障害の発作とまではいかないのですが、不安をかきたてられ、動悸が強く、手足が冷たくなることも多かったです。
とはいえ、25日には仕事の忙しさが一段落することがわかっており、「後でいくらでも休める」と気楽に考えていました。

2012年12月27日の午前1時ごろ、それまで眠っていたのですが、ふと目が覚めます。
室内は暗いため、目を開けても周りのものははっきり見えません。左を下向きにしてぼーっとしていると、地面に引きずり込まれていくような奇妙な感じがします。

当初は「これも不安感の一つの形?」と考えていたのですが、体を他の向きにしていると、その感覚はおこりません。
ようやく「もしかして、BPPVでは?」と気が付きます

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【2-2】症状を観察

まず、今までのBPPVの記録を読み返しました。
いったん「BPPVかもしれない」と考えると、かつてのBPPV経験と似たような流れが起こっているように思え、せっかく記録を取っているのですから、確かめることにしたのです。
結果、冒頭に書いた「 今までのBPPV経験との共通点」を確認することができました。

今回のめまいの始まり
夜中で室内が暗かったため、初めは「体が布団に沈み込んでいくような、奇妙な感覚」としか思っておらず、「めまい」と認識できるまで時間がかかりました。
BPPVのめまいは数秒から数十秒で治まりますので、「気のせいかもしれない」と考えてもいました。

回転の向きは時計と逆回り
「めまい」と認識する前は、エレベータで急に下の階へ降りたときのような感覚だと思っていました。
めまいと認識してからは、景色が時計と逆回りに回転していることに気付きました。

めまいの持続時間は、10秒から長くても30秒程度です。

耳鳴りや耳閉感は一切ありませんでした。

今までと違ったことは、日常生活の中で頭を動かしても、簡単にはめまいが起こらない点です。今までならば、掃除機をかけたり、髪を洗ったりする動作で、簡単にめまいを起こしていたのです。
今回は「本当はめまいなんか起こっていないのに、暗示にかかっているのでは?」と思えて仕方ありませんでした。

後に気付いたのですが
●目薬をさすような姿勢
●かなり高い棚の上の物を取るような姿勢
●寝ていて、体と反対向きに首だけをねじった時
にめまいが起こりました。
このような姿勢を取ることは、日常生活では限られているので、あまりめまいが起こらなかったのかなと思います。

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【2-3】専門家のアドバイスを受ける

以前、K先生から「BPPVを繰り返すかもしれない」として、メリスロンを頂いていました。


メリスロンを飲みつつ、12月28日の夕方、K先生にお伺いしてみます。

K先生、仕事納めですか? お疲れ様でした。

すみません、昨日から時計と逆回りのめまいがします。耳鳴りとか何もありません。

実は、2回目、3回目にBPPVになったときも今も、急な胃痛と吐き気で強めのプロトンポンプ阻害薬をもらってて、高プロラクチン血症らしい症状もあって、夜中に寝汗ばかりかいて寝られないことがあり、流れが似ているので、私は「めまいがする」という暗示にかかっているだけかもしれません。

こうしてメールできるんだし、大丈夫だと思うから、2月に診察で話せば大丈夫ですよね?

K先生からは、
(前略)お聞きした限りではBPPVと思われます。安心してください。(後略)

とお返事を頂き、しばらく症状を観察することにします。

※※※注意※※※
BPPVやメニエール病などの経験がない方が、初めてめまいを感じた場合は、自己診断やインターネットの情報等による判断をせず、必ず病院を受診して下さい。
脳の病気など、重大な疾患の症状としてめまいがあらわれる場合もあります。
私の父も、めまいを感じて耳鼻科へ行ったところ、他の病院を紹介され、軽い脳梗塞が判明したことがありました。決してめまいという症状を軽視しないでください。


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治るまでの流れ

【3-1】気のせいでは?

12月28日、月経困難症の症状が出始めます。普段と比べて、かなり強い痛みがあり、ボルタレンSR、ボルタレンサポ、デパスを飲み、痛みを逃すための呼吸を心がけながら仕事を続けます。
痛みの強さに、めまいを意識する余裕がなくなり、「めまいは気のせいだったのかな?」という思いが強くなります。

12月29日、放送大学に提出していた通信指導の結果が届きます。
幸いにして合格。これで年明けの単位認定試験を受験することができます。

通信指導の問題を提出したのは11月下旬で、極端に難しい問題というわけではありませんでした。でも、放送大学の授業を受講すること自体が初めてで、色々と不安もあったのです。これで一安心しました。

この日から、デジカメの動画撮影機能で、時々目の動きを撮影するようになりました。
めまいの際に起こる眼振は、患者が何かに焦点を合わせてしまうと小さくなります。暗視カメラなどを使い、暗闇で患者が目の焦点を合わせられないようにして、撮影するのが理想だそうです。

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【3-2】めまいを強く感じるようになったのは

12月30日になると、月経困難症のピークが過ぎ、胃の調子もずいぶん回復したため、ネキシウムの服用はやめて、ガスターに戻すことにします。

この頃、めまいをはっきりと感じるようになります。今回のめまいは「高い棚の物を取るときのような、体を後ろに反らした姿勢」のときに起こることが多く、年末の大掃除でそのような姿勢をとる機会が多かったために、めまいが起こりやすくなったのかもしれません。
この日からメリスロンを飲む回数が増えています。

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【3-3】年が明けて

2013年の年明けは、毎年参加している御神楽の奉納に加え、仕事上でのトラブル対応、急な書類作成の依頼などがあって、怒涛のような忙しさです。

それでも、仕事の合間にはベイクドチーズケーキを3ホール焼いて、親戚や知人にふるまいました。とっても喜んでもらえて、私も嬉しかったです。

1月3日には、仕事関係の新年会に着物を着て出かけました。2013年の3が日は気温が高く、着物の上にはウールの羽織だけでも寒くはありませんでしたね。

この間、めまいを感じることもあり、メリスロン、ガスモチン、デパスを服用しながら乗り切っています。 しかし、忙しい最中には「めまいが……」「めまいが……」と気にしている余裕がありません。

BPPVそのものを、すぐに治す方法はないので、「気にしない」という術を見つけることが、BPPVのつらさを長びかせないコツなのかな、と思います。

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【3-4】仕事始め

1月4日と5日は、ほぼ終日パソコンに向かって仕事をします。
年末年始の忙しさや、不規則な食事などがたたったのか、胃の痛みを感じます。そして、BPPVのめまいに伴い、乗り物酔いをしたときのような不安感と吐き気が時々襲ってきます。

このような症状は、体を動かす方が楽になります。ハードな運動をしなくても大丈夫です。掃除や洗濯などの際、少し大げさに体を動かすだけでも、ずいぶん違いますよ。
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【3-5】宝塚歌劇観劇

1月6日、「ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-」を観にいきました。チケットを下さった方がいたのです。
私には、ジェローデルの言動がとっても印象に残りました。
ジェローデルは、オスカルを愛していながら身を引きます。それは「器の違い」を感じていたからではないでしょうか?

ジェローデルは貴族の世界で生きていくのに向いているし、オスカルは伯爵家を捨てて、平民たちやアンドレと一緒に生きていくほうが、イキイキと暮らせそうです。
器の大きい・小さいや、優劣ではないのです。あくまでも「違い」を尊重する形で、お互いのために、潔く身を引いたジェローデル。なんて男らしいんだろうと、思いました。

私は、このホームページを続けていく上で、何度か壁にぶち当たりました。知識の壁、人との相性という壁、私自身の健康状態という壁。
「私には、人の相談に乗るだけの器なんかない」「このホームページを続けていることで、かえって色んな人に迷惑がかかるでは」と、何度も落ち込んだものです。

でも、壁にぶつかるというのは「自分の器の形」を知るチャンスでもあるのです。
「今、私の器はこんな形をしている」と知ればこそ、今後どうするのかを考えることができます。
喜びも悲しみも、嬉しさも悔しさも、受け入れられるだけの器を持てるようになる日がいつか来ると信じて、このホームページを続けていきたいなと思っています。

話が逸れましたが、観劇中はあまり身動きができません。そして強い光や音楽を、長時間見つめることになります。そのためか、いったんめまいを感じると、気持ちの悪さが長びくこともありました。

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【3-6】文楽観劇

1月7日はほぼ終日、パソコンに向かっての仕事です。
パソコンの画面を長時間見つめ、横書きの文字を読んでいると、乗り物酔いのような気持ちの悪さに襲われます。メリスロンやデパスを服用しながら、気持ちの悪さを乗り切ります。

1月8日は、文楽初春公演を観劇する日。この日、気持ちよく観劇するためだと思えば、仕事で多少のむちゃをしても耐えられるのです。
先の、宝塚歌劇の観劇でも感じたことですが、客席では自由に動けないことと、舞台が明るく、初春公演特有の派手な演目が組み込まれていることから、めまいをいったん感じると、気持ちの悪さが長びくことはありました。休憩時間にはできるだけ劇場内をうろうろと動き回り、体をほぐすようにすると楽になりました。
文楽初春公演の感想等は、私の業務用サイトをご覧ください。

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【3-7】症状が消える

1月9日、仕事の打合わせをメールとチャットを通して行い、落ち着いたペースで仕事ができます。

楽に過ごすことができた分、めまいを強く感じます。
この日、私は症状や服薬の状況などを書きとめるノートに、次のように書いています。




1月10日、目が覚めたとき、体がこれまでよりずっと軽くなったのを感じます。昨日までとは違う熟眠感があったのです。

日中も、めまいが起こらず、それに伴う吐き気もないため、胸のあたりがすっきりと軽く感じられます。

夜まで様子を見て「これで症状がなくなる」と確信が持てた時点で、K先生にその旨を報告しました。
その日、私はノートこう書いています。



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【3-8】内科&皮膚科の診察

1月11日、2013年になって初めて、H先生の診察に行きます。
着物を着た際、帯を締めたあたりに皮膚炎ができてしまったことや、乳汁が出始めて授乳パッドなどが必要になってきたことを、お話しします。

「他はどう?」
「12月27日に、BPPVが出てしまって」
「あら、けっこういろいろあったんや。大変やんか」
「まぁ、慣れましたけど。それで、耳鼻科の先生が大丈夫って言ってくれて」
「うん」
「それで、1月10日に朝目が覚めたときに、体がすごい軽くなってて」
「へぇ」
「もう、これで良くなっていくやろな、と思えました」
「それは良かったな」


「お薬やけど、今日はちょっと多いな」
「コシノカンバイがあれば」
「……ははははは。出したくても、手に入らんやん(笑)」
「そこをなんとか。百薬の長ですから」
「ていうか、どのくらい飲んでる?」
「どのくらい……。あ、あの、梅酒のお湯割り美味しいですよ」
「ほぉ。梅酒のお湯割り。まぁ、炎症おさまるまでは、あんまり体温上げすぎ、血管開き過ぎにすると、かゆみがひどくなることもあるから、気を付けてな」

H先生、今年もよろしくお願いいたします。

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【3-9】本当にありがたい

1月12日、私はノートに次のように記しています。
年末年始はとても忙しく、「めまいが……」「めまいが……」と気にしている余裕がありませんでした。
めまいがなくなって初めて「あぁ、こんなに気分が良いものなのだ」と感じたのです。

この言葉をもって、今回のBPPVに関する記録を終了いたします。



おわりに

実は、今回の記録は書くべきか、やめておくべきか迷いました。
何度もBPPVが再発していることを皆さんにお伝えすると、皆さんのお心に、かえって不安や恐怖が生まれてしまうのでは、と思ったのです。

しかし、
●BPPVは必ず良くなること
●特効薬というものはなく、時間の経過を待つしかないこと
●過剰に安静にすると、かえって症状が長びくこと
これらを伝えることも大事だと思いました。

私はこの記録を書き始める前に、次のようなご連絡をK先生に差し上げました。

先生、やっぱり今回もBPPVの話は書きます。誰の役に立てなくても、あんなしんどい思いして、何一つ残らなかったら、自分が楽になれなさそうなので。書けたらまた、 読んでもらえますか?

K先生はお返事をくださいました。

OK牧場

K先生、ありがとうございます。
おかげさまで、書き始める勇気と、最後まで書く元気をいただきました。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
この記録が、何らかの形で、皆さんのお役に立てるときが来るなら、これほど嬉しいことはありません。


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